楽しい事も、しんどい事も、面白い!
シングルマザー農家は、
〈気持ち〉で果実を実らせる

森の中の宝石箱

青森県南部町に、樹木が生い茂る森の中を抜け、その先にある梅内さんの果樹園を訪ねた。

青々と広がる果樹の木々は、ネクタリン、りんご、梅、杏、梨という果樹達が、赤く、黄色く、沢山の実をぶら下げて、太陽の光を浴び、反射していた。

特に目を引いたのが、ネクタリンの木であった。

そのネクタリンは「これ、りんごですか!?」

と聞いてしまうような、今まで見たことのない、驚くような大きさの『特大ネクタリン』であり、とても色鮮やかに実をつけていた。

『ネクタリンを美味しく、大きく育てるために、芽の段階から摘んで、1個のネクタリンに栄養分が行き渡るようにしてるんですよ!ネクタリンの数は減りますけどね!』

その果樹園の中で、梅内さんは笑顔を向けながら私たちを迎え入れてくれ、楽しそうに、丁寧に説明してくれた。

その楽しそうな笑顔は、果樹園の中で、何よりも輝いていた。

絶対にやらないと決めた農業

『高校を卒業したら、絶対にこの街から出ると決めていました!東京で生活をして、農家の娘だけど、農業は絶対やらないと思っていて!今の姿が信じられません!(笑)』

梅内さんは笑いながら、梅内さん自身が信じられないという、強い口調で話してくれた。

果樹園にいる時の姿からは、想像もつかない言葉であったが、当時の梅内さんは、相当強い想いを持っていたそうで、梅内さんのご両親は農家を営んでいたが、若い頃は、農業を仕事にする事を微塵も考えてはいなかったのだ。

地元の高校を卒業後、迷いもなく東京へ就職。

東京での生活、仕事にも慣れ始めた22歳の時に、結婚を決める。

『結婚した相手が転勤族で、1年間に1回は引っ越しをするペースで、とても大変でした!』

結婚した相手の仕事の都合で、福島、宮城、茨城、栃木など住む地域を点々とするようになる。

『最初はその生活に戸惑っていましたが、だんだん慣れていきました。むしろ、旅行などでは得られない、その土地の情報や食べ物を知ることが出来、だんだんと引っ越すことに辛さを感じなくなってきました!引っ越しのコツも掴んだし笑』

しかし、引っ越しをする度に、梅内さんの仕事も転々とすることとなる。

『引っ越し先での知り合いなんて、ほとんどいなかった。だからみんなが『初めまして』だったの。でもそんな時に感じたことがあって、『話しかけやすい人』ってどこにでもいて、そんな人がいるとすごく助かった。よそ者の私からすると、すごく頼もしくて、親しみを感じたの。私も『話しかけやすい人』になろうと、その時思った』

引っ越しを重ねながら、その事を強く思ったそうだ。

今の梅内さんは確実に『話しかけやすい人』のオーラに包まれている。

東京で出産〜子供とオムツを抱えて帰郷〜実家の火事

転勤を繰り返しながら結婚生活を送り、東京に住んでいた28歳の時に、長男を出産する。

しかし、結婚生活は上手くいかず、梅内さんが29歳の時、2歳を迎えようとしていた長男と、おむつだけを抱えて南部町の実家に帰ることとなる。

『子供を連れて、実家に帰ったその年、これからどうしようかと色々考えていた時期に、実家が火事になったんですよ!最初は家の隣の小屋が燃えていて、その火が家に燃え移ってしまって。。。』

騒ぎの中、消防団や近所の方々が消火活動をするも、燃え移ってしまった家は全焼してしまう。

『その時は、どうする事も出来なくて、子供を抱きながら、ただ見ているしかなかったですね、明日からどうなるんだろうと、虚無感しかなかったですね』

次の日からは、町営団地に住むようになり、赤十字や近所の手助けもあり、なんとか生活ができるようになったという。

『服も通帳も全てが燃えてしまったので、持ち物は着ている服しかなかった、こんな時に限ってダサい服を着てて、なんでこんなの着てるんだ!と自分に腹が立ちました(笑)』

『何もなかったけど、近所の人達が生活品や服とか、色々持って来てくれた、凄く助かりましたね』

半年後には、親戚の大工さんに家を建ててもらい、今までの生活を取り戻した。

実家の家事をきっかけに、両親の農家を手伝い始めることとなった。

大人になってから気付いた風景

『農業ってただの農作業ではなく、技術職なんだと気付いた。簡単にはいかないんだと改めて思いましたね。あと、町がこんなにフルーツをアピールしていたなんて、農業を手伝うようになってから気付きました(笑)』

両親がやっていた農業に対しても、南部町が農業に対して行っていた様々な取り組みも、今まで見えていなかった事が、大人になってから見えてきたという。

『でも一番に感じたことは、農家だと子供との時間がしっかり取れるんだと思った事。会社勤めでもパートでも拘束される時間があって、子供との時間が取れないのが当たり前だと思っていたけれど、農家は自分で時間を作れるんだと分かって。。。子供の行事には何があっても参加してますよ!』

ここにいてよかったよ、今すごく楽しい

息子さんから言われた一言。

梅内さんは母親の顔を覗かせながら話してくれた。

『息子から、ここに住んで良かったよ、今すごく楽しいから、って言われたんですよ!
凄く嬉しかったですね、実家に帰ってきて農家になって良かったって、息子からそれを言われた時に本当に思いましたね!』

『自分がポジティブでいて、自分が笑っていないと、子供は楽しくないと思うから』

子供を抱えて、一人南部町に帰ってきた当時の風景が思い出される。

それまでの苦しさや、悲しみが、全てを帳消しにしてくれるような息子さんからの言葉。

その言葉をずっと大切にしている梅内さんは、子供に対する愛情と、母親としての本当の優しさを持ち合わせているのだと、深く感じた言葉だった。

面白きなき世を面白く、すみなすものは心なりけり

『今まで色んな人達と関わるようになって、この句の意味を自分にきちんと落とし込み、大事にするようになりました』

梅内さんにとって人生の句である。

高杉晋作が詠んだ名言だ。正確に言うと、上の句は高杉晋作が書き残し、下の句は高杉晋作を匿っていた福岡の勤王女流歌人・野村望東尼が付け加えた歌とされています。

『世の中が面白くないのは、その人の心が決める事、要はその人次第ですよね』
梅内さんの口から出るこの言葉は、説得力を帯びて伝わってきた。

『今は、その場所、その時間を楽しみたいと思っていて、農業を楽しみたい、子供と楽しみたい、地域を楽しみたいって感じです、逆に不憫な事も楽しみたいですね((笑))

『なんぶの達者村』や『八戸サバ嬢』など地域貢献にも積極的に取り組み、YouTubeの『食べモリチャンネル』にも出演している。

フルーツを育て、子供を育て、地域を育てる。

今までの苦悩と経験を糧にし、農業と子供と地域とを、自分自身が楽しみながら、関わる全ての人達を楽しませようとする、梅内さんは、そんな気持ちを持った、『話しかけやすい人』であった。

梅内さんの農家を楽しむ気持ち、人生を楽しむ気持ちは、果実の甘さと、あの輝きをも生み出しているのだと感じることが出来た。

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