「胡桃」と「牛」と「ニワトリ」と
寛い「心」と「器」と「愛」が
意志と歴史をつなぐ

大きな胡桃の木の下で

岩手県二戸郡九戸村。

この山あいの一角に、「小井田立体農業研究所」がある。

『日本でも珍しい農業をやっているおもしろい農家さんいるよ』

と、知り合いの農家さんから紹介された。

『立体農業』という言葉も知らず、知識もなかった。

どんな農業だろうと楽しみにしながら、「小井田立体農業研究所」を訪れた。

九戸村の山道を抜け、到着すると、そこには大きな木が何本もあり、傾斜地には、数頭の牛が放牧されている。

その場所を眺めていると、数匹の猫が足元にすり寄ってきた。

「お待たせしました、小井田です。宜しくお願いします」

小井田立体農業研究所の小井田寛周(ひろのり)さん。

柔らかい笑顔で迎えてくれた。

足元にすり寄ってきた猫たちも含め、立体農業の話を深く聞いてみたいと思った。

目の前には、とても存在感があり、とても大きな「胡桃の木」が立っていた。

立体農業ってなに?

農場を歩きながら、小井田さんは丁寧に、一つ一つ分かりやすい説明をしてくれた。

立体農業について、知識のない私にとっては、とても有難かった。

「立体農業って、簡単に言うと、自然のサイクルを利用した農業です」

立体農業とは、樹木や家畜を取り入れた循環型農業のことで、広大な面積が無くても、農民が十分に食べていけるよう、地面だけでなく、空間も利用して立体的に生産性をあげるように、デザインされた農業である。

始まりは、昭和初期、東北地方に凶作が訪れた際、賀川豊彦という人物が、農村の貧困解消の為に、東北6県を行脚し、立体農業の実践を説いて回ったのだ。

そして、その立体農業を小井田さんの祖父・与八郎さんが、独学で研究を重ね、スタートさせたのだ。

「戦争から帰って来たじっさまが、胡桃の木を植えることから始めたそうです。それから牛を放牧し、そして、ニワトリを飼い始めました。そうすると、牛は草を食べ、糞をする。ニワトリは餌となる農場内の害虫を食べてくれる。胡桃の木は、牛の糞が肥料になり、大きく育つ、牛からは乳牛が取れる、ニワトリからは卵がとれる、循環しているんですよ、一番良いのは、牛が草を食べてくれるから、草刈りしなくていいのが楽(笑)」

人間の手を加えなくても、自然の摂理で循環してくれる。

「猫たちも立体農業に参加していますよ、ネズミの退治をしてくれますからね(笑)」

猫たちへの愛着が、より大きくなった。

震災の日、何かが崩れ落ちた

小井田さんは、祖父、親父さんの立体農業を営んでいる姿を、幼少期から見ていた。

「小さい頃から、休みの日となれば、強制的に手伝わされていましたから、農作業が大っ嫌いになりましたね」
小井田さんは高校卒業後、北海道の大学へ進学し、経済学を学ぶ。

「当時、特にやりたいことも無かったから、推薦で行ける大学へ進学しました、北海道の大学だから、みんなに酪農でも勉強しに行った、と思われてましたけど、農業とは一切関係のない大学でしたね(笑)」

大学卒業後、東北地方中心に店舗があるホームセンターに就職する。

「小さい頃から農作業を手伝っていて、収入的な事、農家の厳しさを分かっていた。会社に就職して、普通の社会人になろうと思いましたね。でも、ずっと、実家の農業のことは気になってはいましたね」

農業の現実を知るからこそ、卒業と同時に農家は継がず、民間企業へ就職したのだ。

就職して数年後、転機が訪れる。

2011年3月1日に、岩手県釜石市に転勤となる。

そして、3月11日、釜石市内で東日本大震災に見舞われる。

「釜石市の内陸に店舗がありましたので、津波の被害は受けませんでしたが、大混乱でしたね、停電で真っ暗になっていましたけど、ホームセンターだったので、地元の人達の為に、その日から生活必需品などを販売していました、行列になっているお客さんの対応をしていましたよ」

震災当日から、被災した人達の為に、仕事をしていた小井田さんだったが、九戸の実家をずっと心配していたという。

「内陸なので、津波の心配はなかったが、連絡も取れていなかったので、ずっと気になっていましたね」

この時から、小井田さんの中で、何かが変わり始めてきた。

「こういう事態の時に、家族と一緒にいれないって、どうなんだろうって、自分の今までの生き方を見つめ直しましたね、震災がなければ、考えていなかったかもしれない」

それ以来、九戸の実家の事が、小井田さんの頭の片隅に存在していた。

震災から2年後、小井田さんは会社を退職し、実家の九戸村へ戻ることとなる。

間違っていない、じっさまと、おやじの意志

「実家に戻ってすぐ、農家にはなりませんでした、1年間は家の手伝いと、地元の産直でアルバイトをしてましたね、正直、まだ迷いがありましたので(笑)」

小井田さんは退職後、実家へ戻るが、すぐには「農家」にならなかった。

しかし、アルバイト先で、「農家」になるきっかけを後押しとなる出来事があったのだ。

「アルバイト先で、特産品開発の企画があったんですよ、その企画にうちの胡桃を使ってみたんです、もう公私混同ですね!」

小井田さんは、特産品開発の商品に胡桃を提案し、それが採用されたのだ。

「地元のお菓子屋さんと協力して、胡桃を使ったケーキを商品開発しました、そのケーキとうちで育てている胡桃をいろんな展示会で紹介すると、みんなの反応がすごく良くて、ビックリしましたね」

小井田さんは、この時気付いた。

「うちの胡桃は凄いんだと感じました、今まで当然のように、目の前にあったので、国産胡桃の凄さに気づきませんでした」

国産胡桃の価値を再認識する。

「じっさまと、親父が継続してやっていた事って、間違いではない、と分かりましたね」

胡桃に可能性を見出した小井田さんは、本格的に「農業の世界」へ足を踏み入れたのだ。

全国でも貴重な胡桃農家

「今みんなが食べている胡桃のほとんどが外国産なんですよ、国産の胡桃を食べた事のある人はとても少ないと思います」

日本で流通している胡桃の90%以上がアメリカ産の輸入品である。

しかも、祖父・与八郎さんが植えた胡桃の木は、九戸村で昔から育てられていた『手打ち胡桃』。

手打ち胡桃は、殻が薄く、手で割れることからその名が付けられた。

日本で良くみられる胡桃は『鬼胡桃』と言われ、その名の通り、鬼のようにゴツゴツして殻が固いのが特徴。

手打ち胡桃を育てている農家は、数えるほどしかいない。

「貴重な胡桃の木と、立体農業は、やっぱり残していきたいと思ったから」

小井田さんはそう言いながら、牧場内に落ちていた胡桃の殻を割り、実の部分を渡してくれた。

「胡桃も剥きたての状態が一番美味しいから」

生の胡桃を食べさせてもらった。

その味は、クリーミーな甘みがあり、まるで果物を食べているようで、今まで食べてきた胡桃とは全然違った味であった。

「牛達が胡桃の木の根元に糞をしてくれるから、いい味になりますよ(笑)」

立体農業の特徴が生かされた胡桃。

まさに「国宝級」の胡桃だと感じた。

与八郎、重雄、そして寛周へ

祖父・与八郎さんが強い反対を押し切って植えた胡桃の木。

農作業の合間に勉強しながら創り上げた立体農業。

そして、父親・重雄さんがその意志を受け継いだ。

重雄さんは、アメリカの貿易自由化などによる社会情勢に振り回されながら、数々の苦難を乗り越え、胡桃の木と立体農業を守り抜いてきた。

そして、寛周さんがその意志を受け継ぐ。

サラリーマンを続けるという選択肢、地元には戻らないという選択肢、継がないという選択肢・・・。

様々な選択肢から、『受け継ぐ』という選択肢を選んだ。

「じっさまとおやじがやってきたことの価値に気付きました。この貴重な胡桃の木は絶対に残さないといけない」

目の前には、樹齢65年の歴史ある大きな胡桃の木が堂々とそびえ立っていた。

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