誰でもできる農業を!
使命感と笑顔で
地域の「種」を繋ぐ元自衛官

四季を彩る野菜たち

青森県三戸郡南部町、果樹を中心とした農業の盛んな町。

美曽作さんの畑はこの町にある。

美曽作さんと初めてお会いしたのは、この畑であった。

美曽作さんの畑に着くと、一目見ただけで、色んな種類の作物が育てられていることが分かった。

「こんにちはー、場所分かりづらかったでしょ!」

畑の中で作物に囲まれている美曽作さんから声を掛けられる。

美曽作さんのその声は、どこまでも広がるこの景色を飛び越えて、山彦となって返ってきた。

その楽しげな声を聴き、笑顔を見た瞬間、気さくに何でも話してくれる人だなと、一瞬で感じた、とても安心した。

また一面を見渡すと、何種類もの作物が植え付けられている。

「やりたい作物があれば、すぐやっちゃうんだよねー(笑)」

その空間は、どこか懐かしさがあり、「田舎の風景」という言葉が頭に浮かんだ。

元・海上自衛官

「本当は、大学に進学したかったけど、私長女で、弟と妹がいたから、両親の事を考えたら就職した方がいいかなと思ったね、当時は」

美曽作さんは、地元の高校を卒業後、大学進学を希望していたが、両親の金銭的負担を考え、就職する道を選ぶ。

なぜ自衛官だったのか。。。

「就職活動中に何気に書いた書類が、自衛隊の願書だった気がする(笑)」

美曽作さんらしいエピソードだった。

しかし、一度は不合格通知が来て落ちたそうだが、欠員が出たため、繰り上げ合格となる。

「わたし、自衛隊の適性検査を受けたときに、耳が非常に良いって言われました!耳が良いって、意味がわからなかったんですけどね!」

自衛官の職務についてすぐ、その意味が分かった。

当時、モールス信号(*電信で用いられる可変長符号化された文字コード、音を聞き取り、文字、文章化する)が自衛隊では使われていた。
そのモールス信号を操作する際に、美曽作さんの「耳が良い」という特徴が、その仕事に発揮され、モールス信号を扱う「通信隊」に配属される。

美曽作さんは、耳から入る情報を正確に処理し、記憶する能力が高かったのだ。

「海上自衛隊だったから、本当は護衛艦に乗って、旗を振りたかったんですよね、カッコいいじゃないですか!(笑)」

美曽作さんの希望する配属先ではなかったのだが、美曽作さんの能力は存分に発揮され、国家資格も取得する。

「昇任試験の一次試験を合格した時に思ったんですよ、このままずっと自衛隊から抜け出せないかもしれない・・って」

美曽作さんはこの時、ふと自分を見つめ直した。

「このままだと、自衛隊という世界の中で終わってしまうって思いました。それではダメな気がして・・・」

当時、美曽作さんは25歳。

自衛官を辞めることを決意する。

この当時はまだ、農業に携わることに対して、1ミリも考えはなかった。

しかし、自衛隊に在籍していた過去が、のちに農業をやる要因に繋がってくるとはこの時は誰も分からなかった。

「自衛隊を辞めてから、農家になるまで、空白の14年間がありますけどね(笑)」

東日本大震災で気付いた事

美曽作さんは、自衛隊退職後、民間企業に就職した。

「稼がないといけないなー、と思っていた時に、新聞広告で新規アルバイト募集を見て応募したんですよ、採用されたので、そこでアルバイトを続けたんです。そうしたら、1年くらい経った頃に、店長になっていました(笑)!」

アルバイト先で、店長を任されることとなる。

すると、店長に就任してすぐ「エリアマネージャー」も任され、店長兼エリアマネージャーという肩書きを持つようになった。

「もう休みなしで、仕事をしていました!倒れる寸前まで仕事していましたね!」

美曽作さんの仕事の能力が買われ、ついには経営に携わる部署に抜擢される。

「本社勤務になってからは、忙しいのはもちろん、転勤も多くて、3ヶ月で次の勤務地へ異動という時もありましたよ!」

仕事で各地を転々と移動する中、2011年3月、東日本大震災が襲う。

「その時は福島の郡山で勤務していました。原発も近かったので、とても恐怖でしたね、仕事なんて出来る状態ではありませんでした」

美曽作さんは、従業員を自宅待機させ、お店で寝泊まりをしていましたが、自分自身も避難することを決めたのだ。

「余震が続く中、妹の住んでいる山形に行くことにしました、おにぎり5個と水筒を持って。車のガソリンのメモリは2つしか付いてなかったので、山形まで、山を二つ超えられるか、不安と恐怖でいっぱいでした!」

東日本大震災の混乱の中、数日後、美曽作さんは原発の収束が見えない状況にしびれを切らし、お店と従業員が気になりはじめ、再び郡山へ戻る。

「震災発生直後は、スーパーに何も食べるものがない状態。その時、ポッカリ心に穴が開いた感じになったんですよ、物流ってなんだ?食べ物ってなんだ?食べるってなんだ?と・・・何故かその時、自分に深く刻まれたんですよね」

美曽作さんの心に、何か大きな穴が開いたという。

「11年間死に物狂いで働いてきましたが、この状況を見たとき、今までなんだったんだろう、と深く考えてしまいましたね」

美曽作さんはこれを機に、11年間働いた会社を退職する。

食糧生産って国防なんだ!

美曽作さんはその後、地元へ戻り、様々な仕事をする。

「いろんな人達から仕事を紹介されましたが、とても迷いがありましたね」

その頃ちょうど、美曽作さんは、とある大学の社会人向け「起業家養成講座」に参加し、自分の人生のロードマップを真剣に考え、自分に何ができるのか・・社会のために何が必要なのか・・と考えるようになる。

そして、美曽作さんにとって、運命の日を迎える。

「2014年12月24日。忘れられない日になりました。学長に飲みに行こうと誘われて、行ったんです。その席の何気ない会話で、農業の話になったんですよ。その会話の中で学長が、食糧生産って国防なんだよなって言ったんです、その言葉に衝撃が走りました!」

『食糧生産は国防』という言葉が、美曽作さんの心の中に響いた。
「そうだよね!食糧生産は国防だよね、私、農業やる!!」

その日、美曽作さんは農家になる決意をする。

心の中のもやもやが、全て吹き飛んだ。

地域の種と文化を残すために

農家になると決めた美曽作さんだったが、特に最初の数年間は、苦労の連続だった。

「農家になるための道具、場所、人脈、畑、何一つ持っていなかったので、すごく苦労しました、畑を借りるのも簡単にはいきませんでした、意気込みが強かっただけあって、落ち込みましたね」

美曽作さんの状況は、本当に「クワ1本」の状況であった。

最初に借りた土地も、畑の状態になるまでに、2年間の時間を要した。

「獣道を奥深く進んだような場所で、2年かけて開拓した畑だったが、土壌があまりいい状態ではなかったので、作物も育たない状況でした、本当に辛かったです」

しかし、この状況に、地域の人達が手を差し伸べてくれたのだ。

美曽作さんの働きぶりを見て、畑を貸してくれる人が現れるようになった。

そして、現在、就農後に結婚した旦那さんの実家が営んでいた果樹園と田んぼ、そして自身が借りている畑で、ご家族の手助けをもらいながら日々、『農業』と格闘している。

「これまで5年間色んな失敗を繰り返してきました。だから、外国人でも主婦でも、誰でもできる!ゼロから始める農業を教える事が出来ますよ(笑)」

農業の敷居を低くし、誰でも出来る状況を作りたいと、美曽作さんは考える。

「私でもできるから、誰でも出来ますよ!」

何もない環境から農業をスタートさせた美曽作さんだからこそ、言葉に重みを感じた。

「今まで様々な寄り道があったからこそ、自分の進むべき道を発見し、やっと形に出来ていると感じますね」

美曽作さんの農業に対しての想いは徐々に明確となり、大きくなっていく。

「東日本大震災の時のように、有事の時に食べ物をスーパーやお店に買いに集まるのではなく、畑や、農家の家に買いに行けるようになればなあと。そのために農家や個人の家にはその土地の「種」を残す文化を繋いでいきたいなと思っています。これって、有事の時の食糧生産には絶対必要でしょ!」

美曽作さんの農業は、「昔の農業を引き継ぐ」という想いで畑を作り上げている。

『地域の種を残す、地域の知識と文化を残す』

「それぞれの地域って天候も、土も全部違うから、その地域の『種』を継承した人達と繋がりたい」

そのことが、これからの日本の農業に必要であり、日本の食糧文化を持続させる事に必要だと、美曽作さんは考えていたのだ。

自衛官時代に培った国を守るという想い、東日本大震災の時に感じた矛盾や疑問。

これまで美曽作さんが歩んできた全てが繋がり、想いが形となり、農家という形になっている。

農業を教える場所を作る

「昔ながらの農業を教える事が出来る、農業学校みたいな場所を作りたいという夢があるんですよ!今の農業学校は、時代の最先端技術を教える内容が多いと思います。日本の将来を想像すると、【必ず残していきたい農業】を、教育の一貫として考えることも必要だなって思うんです!」

自分たちが住んでいる地域で、自分たちの手で食べ物を育て、自分たちで食べる。

「自然の原理に従うことが、人間にとって、大事だと思えてくる」

美曽作さんは、理想の姿を形にする為に、積極的に異業種の人達と交流も深めている。

「子供の頃は、とにかくいたずらっ子で男まさり!男の子と遊ぶことが多かったんじゃないかなあ!」

そんな美曽作さんは今、人との繋がりを大切にし、これからの農業、日本の将来を頭の片隅に携えながら、畑へと向かう。

美曽作さんの畑を見たときに浮かんだ、「田舎の風景」という言葉が、私の頭の中に、深く刻まれた。

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