乗り越えた病気
苦悩の先にあったのは
ぶどうの甘さ

【福島県から移住、ぶどう農家へ】

「はじめまして、蒲生庄平です」

初めてお会いした時、正直困惑した。

苗字の読み方が分からなかったのだ。

「皆さん、呼び方の困るんですよ(笑)」

私は表情を読み取られ、蒲生さんはフォローしてくれた。

呼び名は『がもう しょうへい』さん。

蒲生さんは、福島県西会津町の出身。

「西会津町でも蒲生という苗字は1件しかないんですよ!」

出身地である西会津町でも珍しい苗字。

歴史上の人物で『蒲生氏郷(がもううじさと)』という戦国武将をご存じだろうか?

この人物を知っている方であれば、『がもう』とすんなり読めただろう。

ちょっとだけ、『蒲生氏郷』について・・・

会津若松の礎を築いた文武両道の名将で、戦国時代、豊臣秀吉の言伝で、伊勢から会津若松に配置され、会津若松の統制と発展に尽力した人物である。

「私の家系が蒲生氏郷と関係があるかどうかは、分かりませんが(笑)」

そんな蒲生さんは、福島県から移住し、岩手県紫波町でぶどう農家を営んでいる。

そのブドウ畑は、広大な傾斜地を利用した、とても見応えのある風景となっている。

「収穫時期になると、毎日が山登りですよ!」

と言う蒲生さん。

なぜ蒲生さんが現在に至ったのか、その背景にとても興味を抱いた。

【天職を見つけた、福島時代】

蒲生さんは、福島県の西会津町で育ち、郡山市の大学を卒業後、福島県の企業に就職する。

「最初の仕事は、郡山市の会社に就職しましたが、3年くらいで辞めましたね、その頃、やってみたい仕事を見つけてしまったんですよ!」

蒲生さんが当時やってみたいと思った仕事とは・・・結婚式場。

その理由は、

「20歳そこそこだったのですが、結婚式に呼ばれる機会が多くて、その当時で20回以上呼ばれていました!それだけ結婚式に呼ばれていましたから、その仕事が楽しそうに見えちゃって・・・」

友達などの結婚式に呼ばれる機会が多かった蒲生さんは、だんだんと結婚式場の仕事に興味を抱き始めた。

「その当時、結婚式場の仕事がやりたいと、周囲の人達に言いまくっていたら、たまたま大手結婚雑誌の編集長の耳に入ったんです。その人に結婚式場を紹介してもらったのがきっかけで、就職することが出来ました!」

『結婚式場』へ引き寄せられるように、就職した蒲生さん。

「結婚式場に呼ばれる度に、迎えられる立場だったのが、今度は迎える立場になったので、複雑な気持ちでしたね(笑)」

やりたい仕事を手にした。

「この仕事は天職だ!って思って仕事をしていましたよ、とにかく楽しんで仕事をしていました!」

蒲生さん25歳の時、天職と出会う。

仕事もプライベートも充実した日々を過ごしていた。

【突然やってきた病気】

蒲生さんは、順調に結婚式場での仕事をこなしていた。

「仕事は順調でした。キャリアも積んでいき、企画やイベントも抱えるようになったので、とにかく忙しくなりましたね」

企画立案やイベント運営の責任者など、蒲生さんの能力は発揮されていた。

そんな中、31歳の時に、突然訪れる。

「体の調子が悪かったので、病院に行ったんですよ。そしたら病院の待合室で、そのまま倒れてしまって・・・」

病院で倒れてしまい、そのまま入院。

「一時的な過労だと思っていたのですが、色々と検査をした結果、診断されたのが【てんかん】でした」

言い渡された診断結果が【てんかん】という難しい病気。

「難しい病気という事は分かっていましたが、明らかな症状が出ないので大丈夫だろうと思っていました」

体調が回復すると同時に、すぐに仕事復帰。

なぜなら、蒲生さんはこの時、自分自身の結婚式を2週間後に控えていたのだ。

「今考えると、その頃式場でのトラブルを対処したり、自分の結婚式もあったりで、時間をフルに使っていました。気付かないうちに相当なストレスがあったかもしれませんね」

そんな状況の中、多忙な仕事をこなし、自分自身の結婚式も挙げたのだ。

しかし、事態は予想以上に深刻だった。

「実は倒れてからの数週間、記憶が全くありませんでした、結婚式も新婚旅行も全然記憶が残っていないんです」

蒲生さんは、今も、当時の記憶が何一つ残っていないという。

周囲の人達も、今までの蒲生さんと様子が違うことに、気付いていたのだそうだ。

「一緒に仕事をしていた仲間も、自分の受け答え方が、今までと違うと感じていたみたいですね」

【てんかん】が原因と思われる記憶障害。

そんな状態で、会社からは仕事の配置転換などをしてもらい、1年間なんとか仕事を続けていたが、限界であった。

てんかんの専門病院を調べ、宮城県の病院に辿り着く。

蒲生さんはその病院で、約3か月間の入院生活を余儀なくされた。

この入院をきっかけに、勤めていた結婚式場を退職することとなる。

「病気も辛かったのですが、好きな仕事が出来なくなったことの方が、辛かったですね」

天職と思っていた仕事。

「この病気が無ければ、間違いなく式場の仕事を続けていたと思います」

蒲生さんは「記憶」と「天職」、両方を失ってしまう。

【あなたが悪いのではなく、病気が悪いのよ】

病気の事は、あまり口にしない奥様の言葉。

奥様の支えのもと、蒲生さんは今までと違う道を歩み始める。

【企画力を生かす】

その後、蒲生さんは地元福島のベンチャー企業や公社で働き、地域活性化の企画やイベントを運営し、様々な発案、実行する。

「色々な企画をやっていたので、何をやったか覚えていないですね(笑)」

岩手に移住してからも、仲間と一緒に、蒲生さんの実家を『マチの拠点とし、再び人が集まるギャラリー』するという、『蒲生館プロジェクト』を立ち上げる。

「私の実家は大正時代に建てられた、築100年の建物で、元々は民宿を営んでいました。今は誰も住んでいないので、そのまま空き家にするよりは、何かに活用したいと思ってやりました」

このプロジェクト以外にも、蒲生さんは西会津町の農産物の販売も、数多く手掛けていた。

「実は、農業に興味を持っていました。理由の一つとして、宮城の病院に入院中、リハビリの一貫で農作業をしていたんですよ、その時、農業っていいなと思ったんですね」

農家になることを、現実的に考え始めていたのだ。

【妻の実家はブドウ農家、岩手で就農】

「ブドウの収穫を手伝った時がありました。てんかんの病気で入院していたのですが、一時退院した時。その時、岩手で農業やるのも悪くないなって、思っていました」

福島で働いていた時から、このように思っていた蒲生さん。

「専業でぶどう農家をやることに興味があるんですよね・・と、妻のご両親に伝えました。その時、ご両親からは、あまり儲からないよって、一言いわれましたね(笑)」

現実を突きつけられた。

だが蒲生さんは、やり方を変えれば、なんとか状況を変えられるだろうと考えていたのだ。

「良いぶどうを作っていることを知っていましたし、何より美味しいぶどうなので、売り方を変えれば、どうにかなると思っていました!」

この時、蒲生さん38歳。

人脈もない、知り合いもいない岩手県紫波町という町で、農家としての人生を歩む。

【人との出会いに恵まれる】

蒲生さんは、就農時のことをこう語る。

「岩手で就農した時は、農業の知識も無いし、人脈も無い。そんな状況でとにかく色んな人達と繋がりを持とうと、必死になって動いていました」

畑とぶどうは有るが、蒲生さん自身には何も無かった。

そんな状況を変えようと、出来ることは何でも取り組み、動いていた。

そんな中、一人の先輩農家さんと出会う。

「就農当時、何もない私に、たくさんのアドバイスを頂き、研修先の農家さんも紹介してもらいました。とにかくその先輩農家さんの存在は有難かったです!」

蒲生さんが信頼できる存在。

岩手に来て一番欲しかった繋がりを、その先輩農家さんは与えてくれた。

この出会いをきっかけに、蒲生さんは紫波町の『4Hクラブ』に入会する。

「先輩農家さん含め、岩手に来て、人との出会いに本当に恵まれていたと思います。その方々との出会いがなければ、今の自分は存在しませんからね」

人との出会い、その大切さを改めて感じた蒲生さん。

「その先輩農家さんは年下なんですけどね(笑)」

【採れたてが一番】

4Hクラブに入会している蒲生さんは、紫波町の農家を活性化させるべく、新しい活動に取り組んでいる。

紫波町発産直サイト『しわちょく』を開設。

生産物を一番美味しい、採れたてのタイミングで食べてもらいたい・・・。農家らしい方法で、紫波町の新鮮な生産物を安心な方法で届けたい。その想いで立ち上げた『11番目の産直』。

『しわちょく』の「クリック&コレクト」は農家・提携店舗・消費者の3者が少しずつ負担を分かち合うことにより、紫波町で朝採れた野菜や果物をその日のうちに新鮮な状態で食べてもらうことが出来る仕組み。

生産者と消費者が『しわちょく』を通じて直接つながる、そのことにより、農家も消費者も安心をてにいれられるようになる。

蒲生さんは、これからの農業を、こう考える。

【ぶどうの甘さって…】

キャンベル・ナイアガラ・サニールージュ・藤稔(ふじみのり)・紅伊豆・シャインマスカット。

蒲生さんが育てているブドウの品種。

広大に広がるブドウ畑は、見ただけで爽快さを感じる。

そのぶどう畑を案内してもらった。

勾配のあるブドウ畑はまるで『山登り』であったが、一歩足を踏み入れた瞬間から、ぶどうの香りが辺り一面に広がっていた。

「どうぞ、食べてみてください、甘いですよ」

蒲生さんに手渡されたのは、シャインマスカット。

それを頬張る。

とても驚いた!今まで食べたことのないぶどうの甘さ!

果物ではなく、スウィーツを食べているようで、とても感激していた。

驚いている私の横で、蒲生さんは優しく笑みを浮かべていたのだ。



FOLLOW US
twitter instagram note mail
支援する
PAGE TOP