情熱が赤く染める
アパレル業界から
代々続くトマト農家へ

【跡を継ぐというプレッシャー】

岩手県一関市のとある高台。

山の傾斜地に向かって、ビニールハウスが規則正しい配列で並んでいる。

周りの風景と相まって、見応えのある光景。

「ここにあるほとんどのハウスは、トマトですよ!」

張りのある明るい声が木霊する。

那須一樹さん。

代々続くトマト農家の後継者。

「土地が少ないので、山を切り開いて、ハウスを建てたんですよ」

那須さんのトマトハウスに訪れたのは、収穫時期の終盤。

それでもハウスの中には、艶のあるみずみずしいトマトが残っていた。

「トマト栽培に使っている水は、全て山の水です。だからトマトもこんなに艶が出るんですよ!」

その理由を聞いただけで、トマトの美味しさが伝わってくる。

那須さんはハウスの中を案内しながら、私に色んな知識を教えてくれた。

その知識は全て、納得のいく内容。

『那須さんは農家になって何年目ですか?』

と聞いてみた。

「まだ3年目ですよ!」

この知識量は凄い、と感心してしまった。

「自分なりに結構勉強しましたよ!」

那須さんの努力している姿が目に浮かんだ。

「農家をゼロから始めるのも大変だけど、跡を継ぐプレッシャーも凄く感じますよ!自分がやり始めてから、ダメになったと言われたくないので!」

あっけらかんと、笑顔で話す那須さん。

そのプレッシャーを跳ね除けるようにトマトと農業を学んでいる。

そして、農家という仕事に真正面からぶつかっている。

那須さんから、その熱いオーラが私にも伝わってきた。

【絶対なりたくない職業・農家】

「農家には絶対なりたくないと思っていました!いつ休むのだろうと思っていましたから」

なぜ那須さんはそう思っていたのだろう。

那須さんの生い立ち。

「4歳まで一関市にいましたが、父親の転勤で4歳から10歳までタイに住んでいました。その後10歳から中学卒業の15歳まで山梨に住んで、地元一関市に戻って来たのは、高校入学の時でした。子供の頃、一関市にはほとんどいませんでしたよ」

那須さんの父親が転勤族だった為、一関市には住んでおらず、地元で暮らした幼少期の記憶はほとんどなかった。

「父親は、一関市に戻ったタイミングで仕事を辞めて、祖父がやっていたトマト農家に就農しました。40歳過ぎてからでしたね」

那須さんが高校生の頃、父親は就農したばかりで、祖父と一緒に、休みなく働いている姿を目の当たりにしている。

「父親もいずれは実家に戻って農家を継がなきゃいけないと思っていたのだと思います。就農当初、休み無しで必死に農家をやっていましたから」

那須さんは、その父親の姿を見ていた。

「こんなに大変な思いをするなら、農家には絶対にならないと思いましたからね」

そのような思いを抱き、高校卒業後、山梨県の短大へ進学を決める。

「その頃、服に興味がありましたので、将来、服のお店を出したいと思っていました。その為に、経営の勉強をしようと思って進学しましたね」

もう一つ理由があった。

「やっぱ、小学校、中学校と過ごした山梨に、友達がたくさんいたので、山梨の短大を選んだ理由です(笑)」

アパレル業界の仕事へ進むと決め、山梨へ再び戻る。

【アパレル業界】

那須さんは、短大を卒業後、山梨県内のアパレル会社に就職する。

「就職した当時、セレクトショップのお店を出したいと思っていましたから、その為にアパレル業界のノウハウを学びながら仕事をしていましたね」

『セレクトショップのお店を出す事』

那須さんの将来像はこの時すでにあったのだ。

しかし那須さんは、アパレル業界に対する不安を抱くようになる。

「だんだんと高い服が売れなくなってきましたね。時代が変化する中で、これから独立してお店をやるのはリスクがあるなと思うようになりましたね」

リーマンショック、東日本大震災など変わりゆく情勢の中で、アパレル業界もその煽りを受けていたのだ。

そして、那須さんは、宮城県・気仙沼市への転勤が言い渡される。

「東日本大震災の直後でしたので、気仙沼市内に住むアパートが無かったんですよ!あっても新築で家賃が高くて住めませんでした。なので、一関市の実家から通いましたね。車で30分以上かけて(笑)」

気仙沼市へのてんきんをきっかけに、実家での生活が始まった。

「服の仕事が好きだったから通えましたけど、正直通勤がきつかったですね。この頃、独立してセレクトショップを出すという事も、正直諦めていました」

那須さんは、この時、将来の目標を失っていたのだ。

【父親と初めてのサシ飲み】

「これからの人生をどうしようかと悩んでいた時、初めて父親と二人っきりで飲みに行ったんですよ!」

これから人生をどう歩んでいくか悩んでいる時、初めて父親と、二人だけで酒を酌み交わした。

「小さい頃から、父親が嫌いでした(笑)とにかく会えば怒られてばかりいましたから!その父親と二人きりで飲みましたから、驚きですよね!」

父親も農家も嫌いだった那須さんでしたが、飲みの席で父親にあることを宣言する。

「記憶にないのですが、その時、農業をやるって父親に言っていたみたいです!覚えていないんですけどね!(笑)」

この一言で、那須さんは農家の跡を継ぐという決心をする。

「心のどこかで、家でやっているトマト農家を継ぐという気持ちがあったんだと思います」

この時、那須さん31歳。

祖父、父親と、代々続けてきたトマト農家を、那須さんは継ぐこととなる。

「どうせやるからには、農業も楽しくやろうと思いましたね!」

農業・農家という仕事を前向きに捉え、新たな人生の一歩を踏み出したのだ。

【1年目の苦労】

「最初の頃は、父親と喧嘩ばかりしていましたよ!何も知らないのに、父親に色々な提案をしていました。聞いてはもらっていたけど、納得はしていませんでしたね(笑)」

那須さんのやりたい事や改善したい事などを父親に伝えていたが、その都度喧嘩になっていたという。

「そんな感じだったので、とにかく1年目は言われる通りにやってみようと思いました。正直まだ何も知らない素人でしたからね(笑)」

那須さんは、祖父、父親から『今のやり方』を1年間通して、しっかり学ぼうと思ったのだ。

「父親の言うことは素直に聞けなかったけど、今やっていることをしっかり覚えようと思いました、変えるのはそれからだと考えるようになりました」

那須さんは当時、このように考えていたのだ。

「自分が入ったことによって、今やっているトマト農家が、いかに発展させることが出来るか・・それが自分の存在意義なんだと思うようになりましたね」

1年目、学びに徹した那須さん。

そして、自分の役割、存在意義を見出したのだ。

【外の世界へ目を向ける】

「他の農家さんがやっている事、知識も学ぶべきだと思ったので、色んな人達と繋がりを持とうと行動しました、一関市の4Hクラブにもすぐ入りましたね」

何でも取り入れたいという想いから、フットワークの軽さを生かし、農業仲間を作り始める。

その中でも、20年以上農業を営んでいる先輩農家さんからのアドバイスが、那須さんの心を動かす。

「その先輩農家さんから言われたのが、物を作っている上で正解は無いって言われたのがきっかけで、物作りに対して楽しんで出来るようになりました。2年目からは、物作りの楽しさや、考える楽しさを味わえるようになり、大変だけど面白いって感じながら取り組んでいましたよ!」

また、厳しさも教えてくれた。

『結果は全て自己責任』

先輩農家さんからの言葉である。

「色んな人達に色んなことを聞いて学んで、引き出しをいっぱい持ってもいいけど、それで失敗したからといって、アドバイスをくれた人達のせいにしてはいけないよって言われました。結果は全て自己責任だって」

気を引き締めてくれる存在の大切さを感じた、先輩農家さんの言葉であった。

「父親と喧嘩ばかりしてないで、きちんと話をしろよ!って言われますしね(笑)」

【美味しかった!の一言が嬉しい】

「何よりも、お客さんから美味しかった!と言われるその一言が嬉しいですね!」

那須さんは嬉しそうの話し始めた。

「作る楽しさもありますけど、やっぱりお客さんに届ける楽しさもあり、やりがいに繋がりますね!」

『モノづくりの意味』を実感すると言う那須さん。

お客さんの声が直接届いて来るような販売方法を今後、展開していくという。

また、『ケール』や『アスパラ』など、今まで栽培したことのない野菜にも挑戦している。

「どうせ農業をやるなら、自分も楽しくやりたいし、お客さんにも喜んでもらいたい、一緒に働く従業員にも満足してもらいたい、自分が果たす責任だと思っています」

新しい発展へと進む『挑戦』と、祖父、父親が営んできた農業を守るという『責任』。

トマトのような真っ赤な情熱で、プレッシャーと向き合いながら、那須さんの戦いは、これからも続いていく。


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