舌と目で肉を創る牛飼い
人生経験と探求心と思いが
肉の旨味を彩る

俺の夢は宝くじを当てることだから!

大自然の山々に囲まれた牛舎の前で、大きくこだまするその声は、肥育農家である沼沢利夫さんの言葉である。

本気なのか、冗談なのか分からないくらいの笑顔で、私達に投げかけてきました。

『宝くじを当てたら、そのお金で日本中の子供たちに本当に美味しいものを食べさせたい』

その言葉には、宝くじが当たったら本気で日本中を駆け回り、子供たちに美味しいものを与えるのだろうと、沼沢さんの表情と言葉の力によって、私達はそう感じたのである。

そんなユーモアと壮大な夢を語る沼沢さんは銘柄牛である黒毛和牛「あおもり倉石牛」を育てている。

青空と大自然が、気持ちの良いくらい融合している青森県五戸町倉石地区にて、40年以上肥育農家を営んでいる。

日差しが照り輝くお昼時、牛達への餌をやり終えた沼沢さんが牛舎へと案内してくれた。

牛舎に着くなり、

『うちの牛達は、人懐っこいから、触っても大丈夫だよ!』

牛舎の牛達に寄って行くと、一斉に瞳が輝く牛達がなんと近づいて来る。

驚いていると、

『ストレスが無い状況で育っているから・・俺と一緒で!』

満面の笑みで、必ずユーモアを入れてくる沼沢さん。

とてもサービス精神旺盛な人である。

肥育農家 沼沢利夫

そのユーモアさとは裏腹に、波乱の人生が待ち受けていた。

沼沢さんは、中学を卒業すると同時に、肥育農家の家業を継いだ。

家業を継いだ頃は、乳用牛のホルスタイン種を肥育していたが、22歳の時に大きな転機が訪れる。

アメリカの貿易自由化により、安い牛肉が輸入されるようになった。

それをきっかけに、沼沢さんは「乳用種肥育」から『黒毛和種肥育」への転換を決断する。

先陣を切って、ひとり黒毛和種肥育を始めた沼沢さん。

『周りで誰もやっていないから、大変だったよー!他県の黒毛和牛の牛舎に研修行った時は、こっそり餌を持って帰って研究したりしたんだよー!』

『当時、東京の市場に行くと、青森の牛は大根以下だとバカにされていた』

当時を語る沼沢さんからは笑顔が消えていた、苦難の連続だったという。

『どうせ青森の牛なんて・・という先入観をひっくり返すようないい肉牛を作ってやると思って、色々努力したよ、今もまだ続いているけどね』

そうしたたゆまぬ努力が徐々に実り、今では青森県が誇るトップブランド牛の産地となっている。

『俺はもう村議会議員をやっていた親父を超えてるからね、3回も結婚したから!』

また満面の笑みで語りかけ、笑いの渦に引き込む。

でもそれは、悲しみの裏返しであった。

22歳で結婚し、3人の子宝に恵まれ、16年間連れ添った最愛の妻を事故で亡くした。

稲わらを集める作業を手伝ってもらっている最中に、大型トラックの荷台の扉を持ち上げていたワイヤーが切れ、下敷きになったのだ。

『一生分の涙を流した』

悲しみの深さをはかり知るのは、この言葉に尽きるであろう。

二人目の妻は、入籍後に末期の肺がんが見つかり、入籍半年で他界。

三人目の妻は、縁が結ばれたと思ったが、ほどなく離婚。

『今は見栄や、プライドは捨てて、メンツにはまったくこだわらなくなった』

沼沢さんの自室には、黒毛和種の大会で獲得した数十枚の賞状が、ほこりをかぶって無造作に積まれていた。

沼沢さんにとって大切なものが何か、教えてくれる言葉であると感じた。

自分が消費者として、美味しいと思える牛肉をつくる、ただそれだけ

沼沢さんの肥育農家としてのこだわりをお伺いすると、このように返ってきた。

『生産者である前に、消費者でなければならない、消費者の気持ちを常に考えている、私も牛舎を一歩出れば一人の消費者だから』

沼沢さんはサシと赤身のバランスが大事だと考えている。

『本当の肉の美味しさは、赤身の中にある旨みなんだよ』

こういう沼沢さんは、餌を自分で配合を考えて、配合比率を微調整している。

自分で配合を考えるからこそ、肉が美味しくなる理屈もわかるのだという。

『市場の評価、価格ではなく、本当に美味しいものを食べたときは、本当にいい笑顔になるよ、私みたいに!』

また、私達を笑いの渦に引き込む。

宝くじを当てて、日本中の子供たちに美味しいものを食べさせるという夢は、ただの夢で終わらないような気がしたのである。

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